
シンスケ
プロフィールページをご覧くださりありがとうございます。
シンスケの人物像やカウンセラーに至るまでの経緯をご紹介します。
まずは、
活発で明るかった幼少期

本当にごく普通の家庭に生まれ、何不自由なく育ちました。
今思えばちょっと普通過ぎたかもしれません。
幼稚園に通っていたころはいい思い出が多く、思い出す度にほっこりしています。
少し恥ずかしがり屋で、絵をかくのが好きな明るいこどもでした。
それでもなんとなく、人に影を感じていたところがあったと記憶しています。
第二次性徴期

第二次性徴が始まる小学5・6年生くらいからでしょうか。
クラス内に派閥やグループができ、他人を利用して優位に立つという兆候が表れはじめました。
人を利用するのも、利用されてばかにされるのも嫌な自分は
それまでの明るさを抑え、目立たないように生きていこうと考えました。
どうしてこのような派閥やグループが出来たのか、異性を意識してのことなのか
個であることに耐えられなくなったのか知りませんが、
ある小説に「性はすべての問題の根源である」という一説を見たことがあります。
今は本当にそう思います。
青年期

『性』に悩まされ、自分を抑えていたことも手伝い、内向的な少年として中学・高校と進学していきました。
TVゲームや音楽にどっぷりとはまり、自分の世界に閉じこもり、外に出ることもなくなりました。
傍から見たら何をやっているのか分からなかったでしょう。
そうしている内に漠然と『絵を描く仕事がしたい」と思うようになりました。
漫画やイラストの画材・教材を買い集め、必死に描いていたのを憶えています。
漫画の新人賞に応募したり、コミックマーケットに参加したりしましたが良い結果は得られませんでした。
それもその筈、その時の自分は『良い作品を作りたい』んじゃなくて、
『人と関わらない仕事をしたい』と思って描いていたのですから。
絶望と自殺

さて、漫画家になれなくても働かなくてはいけません。
若いころ特有の根拠のない自信とでも言うのでしょうか。
社会に出ても絵描きになれると信じて疑わず、
部屋にこもり趣味に没頭していては人間関係がうまくいきません。
二足の草鞋を履いているような状況に人間不信も加わって
仕事を憶えられない、やる気がないと勝手に思われるといった悪循環に陥りました。
そして最初の職場を辞めた後、アルバイトや人材派遣の紹介先を転々とするようになります。
新しい仕事を憶えることや人間観関係に悩み、絵を描く余裕なんてありません。
とうとう仕事もせずに引きこもるようになりました。
もちろん親は許しません。
顔をあわせる度に説教をされ、『次の仕事がうまくいかなかったら死んでしまおうか』などと考えるようになりました。
また仕事を辞めたいと思い始めた
人材派遣会社の紹介で、地元から離れたある場所での就業がはじまりました。
最初は良かったのですが、どこに居ようと人はそう簡単に変われるはずはありません。
もう後がないというのにまた『仕事を辞めたい』と思いはじめたのです。
他人や環境のせいにしたくないのですが、とうとうある日の午後
荷物をまとめて派遣先の寮を飛び出しました。
行く当てもなく帰って歓迎される場所もない本当にどうしようもない状況です。
その日は無人の工場のような場所に忍び込み、一夜を明かしました。
紹介された派遣先というのが南の方で、観光用のためのフェリーが停めてあるような場所で、
『海が見たい』
と、思いついた自分は偶然見つけたフェリーで行き先も確認せずに乗ってしまいます。
不安とか後悔とか麻痺しているような感覚がしていて、船が目的地に着いてから観光客のフリをして歩きはじめました。
夜が来るまで、足が折れると思うほど歩き続けていました。
どれだけ歩いても何もある筈もはずもなく、とうとう近くの砂浜に足を休めます。
そこは絵画の中に入ったような素晴らしい景色だったと記憶しています。
それから三日三晩、飲まず食わずで空を眺め続けたり砂浜を移動したりしました。
不思議なことに食欲が全く湧きません。
それから思いを巡らせている内に、突拍子もなくひょっとしてまだいけるんじゃないかと思いはじめました。
ここまで来たしいつでも死ねると開き直り始めたのでしょう。
自殺することすら途中でやめた自分に、今は感謝しなければならないかもしれません、、、
現在

恥も外聞も捨て、実家に戻りました。
それからは親に伝えたいことを伝え、親戚からアルバイトを紹介されるなどして生活が落ち着いてきました。
ーそれから月日が経ち令和6年
ある日、転職サイトを眺めていると心理カウンセラー募集の求人が目に入ってきました。
こんな仕事もあったんだなと思いつつ、もし自分がカウンセラーだったら
『自分と似たような人に力になってあげられる』
なにより
『人間関係や性といった一生の問題に取り組めるのではないか』
と思い、カウンセラーになることを決心したのでした。
これがここまでの私の経歴です。